きょう、題とかバック♪
ここまでバックする?
*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「まるる」が書きました。
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お題:「再チャレンジ」
私は4年半ほど前に人間関係で大きくつまづいて、そこから立ち直ろうと自分なりには頑張ってきたつもりなのですが、どうしても以前のように人と気安く話したりすることが出来なくなってしまいました。
ネット上で何度か、強制的に人と話しをするような場所に自分を置いてみる、ということをしました。
はじめは2002年の秋ごろ、「カフェスタ」というのに登録して、そこで新しい人間関係を作れないかと模索しましたが、冬になるにつれて体調を崩し、果てはついにうつ病になってしまって退会しました。
その後、私が毎年受けているある認定試験の会員制のサイトの掲示板に書き込みをしてみたりしましたが、具合の悪い時にはつい書き込みが出来ず、書き込みの間隔があくと話題についていけなくなって参加しにくくなってそれきりです。
昨年の夏にはmixiに入会し、自分から人の話題に加わっていこうといろんなコミュニティに参加したのですが、これもかねてからの人間関係の問題が出てきて続けるのが無理になり、今はほったらかしです。
努力してみる度、結局自分には人間関係を維持する力がないのだと思い知るばかりです。
高校の倫社の時間、しくじってへこたれた時に「さらば、もう一度!」とニーチェは言ったのだ、というようなことを習ったと思うのですが、私は鉄人でなくて、凡人の内でもかなり弱い人間だから、もう一度人と普通に話せるようになるのはもう無理なような気がしてならないのです。
再チャレンジ、しないとダメでしょうか?へこたれたままではいけないのでしょうか?
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お題:第199回「寿命、何歳まで生きてみたい?」
このあいだ、ランキングを紹介するテレビ番組で、100歳以上の人がこれまでの人生でもっとも心に残る旅行先はどこか?というアンケートの上位3位を紹介する、というものを見たのですが、第1位が、これは予想に反するものかそうでないのかよくわからないのですが、「ハワイ」という結果になっていました。
100歳の人の生年は1907(明治40)年で、壮年期までは大衆旅客機がありませんでしたし、戦争に次ぐ戦争で、戦後すぐは海外渡航には厳しい条件もあり、ハワイへの旅行が実現するのはこの方たちが人生の下り坂にさしかかってから、というよりも、老年期に入ってからだったでしょう。
ビデオインタビューでも80歳を越えてからの旅行と答えた方もいらっしゃいました。
80歳ほどの年齢になって海外旅行ができるということは、身体が健康でなければいけませんし、また気持ちの上でも好奇心旺盛でないといけないでしょう。
勿論、旅行にかかる費用も、海外ではもっともっとたくさん必要なところはあるでしょうが、近所に一泊旅行するよりも多くかかることは確かです。
この番組を見ていて私が思ったのは、100歳を超えて元気に老いることができるというのは、その人の身体的な条件も無論あるでしょうが、それより何より、みな「裕福である」ことが必須なのじゃないか、ということでした。
裕福な人たちなら100歳を超えている年齢でも、一度くらいはハワイを旅行したことがあって何にも不思議はありません。
そうして自分のこれからの人生を考えた時に、生活に何の心配も無く元気に老いるということはほぼ無理だと思えました。
ハワイに行くお金があったらひと月でもふた月でも生活を維持できるようにせめて貯金でもしておかなければいけませんし。
何の不安もないのなら、生きられるまで生きるのが寿命だと思うのです。
でも、これからはきっと、「年寄りは生きていることが罪」とあからさまにののしられる時代がきっとやってくるので、それならば、両親を見送り、夫を先にやったら、寿命を待たずに私は死にたいと思います。
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お題:第198回「常に持ち歩いていないと不安なもの」
トラックバックテーマによっては、どう書いていいものやらものすごく悩むものもあるのですが、私にとってはこれはとっても明快です。
頭痛薬です。
最低でも1回服用分、通常は3回分くらい持っていないと不安です。私は小学校の2年生くらいから頭痛もちで本当に頻繁に頭が痛くなるのです。
子どものころから高校1年生くらいまでは小児用バファリン。その後しばらくバファリンで、大学生の頃はイブ。結婚した頃からナロンエース。近年は10年くらいイブAです。
15年くらい前から片頭痛になって、吐き気がひどくなるので飲み薬がダメで、坐薬の鎮痛剤を買って冷蔵庫に常備していましたが、これがもうどこにも売っていなくて、その後は内科医にもらうボルタレン坐剤を常備しています。坐薬は常温では溶けてしまいますので持ち歩くことが出来ず、片頭痛の予感のあるときはどこにも出られません。
わがアタマながら切って棄てたいと思うほど痛みは激しいのですが、食生活の改善によるのか、年齢のせいか、最近は少し片頭痛が楽になってきて、外出まで控えることはなくなりました。だから余計に、イブAの携帯無しでは動けません。
頭痛薬以外のもので、以前は必ず持っていたもの。
筆記用具と時計は必ず持っている人間でした。手慰みにも、人と話しをする時にも、筆記用具なしでは心もとない人間でした。また、時間の遅れに非常に敏感なタイプですので、時計なしに出歩くことは眼鏡なしで歩く以上に恐怖でした。
今は時計はまずしませんし、筆記具もバッグに入っている時の方が少ないです。
これは多分、人と会う機会がないので必要なくなったのだと思います。筆記具と時計で武装しないと人と対峙できない習性なのでしょうね。
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お題:第197回「もらって嬉しかったもの・困ったもの」
人に物をもらうのは好きです。だって、その人が、私に「あげたい」と思ってくれるのですから。私は、人に、大事にされている、と思うことがうれしいです。
特にうれしいものは、好きな植物の苗などでしょうか。雪割草とか、ユリの球根とか、もらうとうれしいです。
それから、ステイショナリーや雑貨がうれしいです。シールとか、ノートとかそういったもの。ともだちは私によく、カエルグッズをくれます。カエル大好きなのでとてもうれしい。
それから甘いお菓子もうれしい。
もらって困るものは、高価なもの。それから、たくさんたくさんプレゼントをもらうこと。お返しのことなど気になって気持ちに負担になります。
あ、それから、以前、日本桜草を10鉢いただいてちょっと困りました。
私は日本桜草には嫌な思い出がたくさんあってあまり好きではないのです。
でも、それでもどうにか枯らさぬようにお世話をしています。下さった人は何も知らずに下さったのだから。
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日本でお題とかを沈没しなかったの?
お題とかを沈没しなかったの?
淡路で広いお題:
第12年
災害について考える」
「日本沈没」
とか「阪神淡路大震災から12年」
*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「まるる」が書きました。
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お題:第196回「サラダには何をかけますか?」
圧倒的に多いのはマヨネーズです。
好きですね、マヨネーズ。
子どもの頃、ドレッシングなんて全く知らず、マヨネーズもそんなに普及していなくて、外で洋食など食べると付け合せのキャベツなどはウスターソースで食べるしかなかったのですね。
でも、キャベツというのは古くなるとなんともいえない嫌な蒸れたような臭いがしてくるもので、昔の農産物の輸送というのは今よりもずっと時間のかかったものですから、キャベツもまた例外ではなくて、そのクサいキャベツにウスターソースをかけると、臭いがさらに強くなるような気がして、私は飲み込むことも出来なかったものです。
何年かすると、付け合せのキャベツにマヨネーズやドレッシングなどが添えられるようにもなりましたし、また私は奈良に越してきましたので新鮮なキャベツを食べる機会も増えて、自分でどんどん千切りキャベツをこしらえてはバクバク食べるくらい、キャベツ好きになりました。
どうも、ウスターソース時代の代償なのか、キャベツには今でも親の敵のようにマヨネーズたくさんかけて食べてます。
小学校の家庭科の時間に「フレンチドレッシング」を習ってから、ドレッシングを家で作るようになりました。
それから、サウザンアイランドドレッシングというものを知った時には感動でした。なんておいしいんだろうと思って。
今は、イタリアンドレッシング風のものとか、お醤油入りのものとか、ゴマドレッシングが好きで、家ではよく利用します。作ることもありますがこのごろは市販で済ませています。
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お題:第195回「会ってみたい有名人!」
昔、東京から奈良の山間部の市にある高校に転校した時に、ぐるっと周りを囲まれて、「有名人に逢うたことある?」と聞かれました。
「あることはあるけど…」と、母の実家のそばに岩崎宏美の実家がある話をしたり、銀座で西城秀樹を見た話をしたりしたのですが、私がそういう話題を喜ぶ「フツーの女の子」ではなくて、今の言葉で言えば「ヲタ」だと知るや、潮が引くようにそういう人たちは私の周りにいなくなりました。
他にも、日比谷で三波伸介に会ったこともあるんだけども…
芸能ネタに興味がないほうではないですし、テレビ大好きですし、ミーハーなのですが、この有名人にどうしても会いたい、生の姿が見たい、歌っているところが見たい、という欲求は今も昔もほぼ皆無です。
手塚治虫に握手してもらった時は興奮しましたが、私は手塚治虫自身が好きなのではなくて作品が好きなのだから、さらに何度も会いたいとは思いませんでした(今は思ってもかなわぬことですけれど)。
そうですね。強いて言えば時間旅行がしたいです。
聖徳太子ってどんな顔だったのか、この目で見てみたいな。
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お題:第194回「受験生に贈るエール」
「受験生へ」と言っても、大学受験の方は昨日すでにセンター試験は終わってしまっているし、自己採点など済んで、ある程度志望も限定されてきてしまっている今日なのかな、と受験の状況に疎いおばさんは考えております。
とりあえず、二次試験まで、健康に留意し、規則正しく生活して、勉強もきちんと、だけど心に栄養をあげることもサボらずに、頑張って下さったらいいなと思います。
そう、大事なことは、受験して、春にどこかの学校に通うことになって、それからのこと。
一人でも二人でもいいし、大勢ならもっといいかもしれないけれど、腹を割って話せる友達を作れますように。
時間をたくさん使える最後の期間だから、学校の勉強でも、それ以外のことでも、たくさん学んで、真の知性と教養を身につけられますように。
相手のために身を挺しても構わないと思えるような愛する人を見つけられますように。万が一その恋愛が不首尾に終わっても、人を愛することの真の値打ちがあなたの中に長くとどまり続けますように。
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お題:「納豆」
私は、納豆を好きかと聞かれて、好きか嫌いかどちらかで答えよと言われたら、迷わず「嫌い」と答えます。
私の子どもの頃は食卓に納豆は並びませんでした。もっとも、私の家の朝食はもっぱらパンだったので、パンに納豆は最近ではどうだか分かりませんが当時はまずそういう食生活は「変人」の烙印を捺されますし、当然と言えば当然だったのです。
でももし、我が家が朝食ご飯党だったとしても、納豆を食べる機会は少なかったでしょう。
母が大の納豆嫌いだからです。
父親は、これはおそらく、納豆が好きだったものと思います。
たまに朝にご飯を食べる時がありましたが、そんな時にごくごく稀に、父親だけ納豆を食べていたことがあります。
母は知らん振りをして、卵かけご飯(黄身だけかけるのが母流)を食べています。
私は納豆が珍しく、父親にちょっとだけもらってみたのですが、臭さとねばつきに閉口して、それから二度とは口にしませんでした。
昔の納豆ですから、お豆腐屋さんが売りにくるもので藁づとに入っていたものですし、臭いがきつかったのですね。
母の兄二人は朝食に納豆を食べることがしばしばあったように思います。この伯父たちは長らく独り身だったので、納豆は手軽な朝食だったのでしょう。
なぜ母だけが納豆嫌いなのかわけは分かりません。
母が離婚して再婚して、今私の父になっている人は奈良の山間部の生まれですから、納豆のないところで育ちました。
東京と奈良を往復するトレーラーに長らく乗っていましたが、東京の営業所でまかないの朝食が出されるとしばしば納豆がついてきたようです。
最初、皆がうまそうに食べているので箸をつけてみたそうです。ところが臭いと糸を引く様子に「これくさっとるやないか!」。
以降父は1度たりとも納豆を口にしませんし、東京で就職していた弟が郷里に戻り実家に同居するようになって、時たま納豆が食べたくなり、食卓でお鉢の納豆をこねくりまわしていると、「そんなもん、俺の目に見えんところで食うてくれ」と顔を背けていたものです。
父はにおいの強い食べ物がだめで、東京生まれなら幾度と食べることがあり、私も母も弟も大好物のくさやも「クソ焼いとるんか?どうにかせえ!」とひどい迫害を受け、実家ではくさやはご禁制です。
私はと言えば、結婚してから納豆を食べるようになりました。
夫はわりと納豆を好みます。
とはいえ、つい最近まで朝食はパンが多かったので、晩御飯に納豆を出していました。
私はくさやも食べられますし、においの強い食べ物にはうまみがつきものという決まりも経験していますので、納豆を食べられるようにはなっていました。
その時は普通に食べるのですが、においだけどうしても鼻について残ってしまい、しばらく食べたくなくなるのです。半年とか一年して、そろそろ納豆のにおいが苦痛でなくなる頃、またなんとなく食べたくなって食卓に出す、というサイクルでした。
ここ2年ほどは朝食をご飯にしていますので、週に一度ほどは納豆を食べるようになりました。
私はかなり激しい片頭痛もちで、総コレステロール値が高くなってきてから頭痛がひどくなったのと、夫が内臓肥満なので、植物性たんぱく質の摂取比率を多くしてイソフラボンも多めに取れるように食生活の改善を試みたのでした。
(もちろん納豆を取り入れただけというのではなく、野菜をたくさん摂取し、肉は脂身を極力取り去り使用頻度を少なめに、魚は青い背のものを使う回数を増やして、週に1〜2度は肉も魚も食べない日をもうけたり、他にはきのこ、海藻、豆、芋などを多く摂るように心がけました。
私のコレステロール値はなんとか正常範囲内におさまるようになり、片頭痛もかなり軽減しました。)
私は、自分の胃は朝からご飯は受け付けないものと決めてかかっていたのですが、今では当たり前のようにご飯を食べています。納豆も嫌気がさすようになるかもと思ったのですが、40歳を越えて感覚が鈍くなったのか、週に一度でも飽きなく食べられています。
今朝も納豆の報道がテレビニュースで流されているのを横目に、おいしく納豆をいただきました。
それでも、さてお前は毎日納豆が食べられるか?と言われるとやはりそれは否で、これは実際のところ好きじゃないからなのでしょうね。
納豆嫌い・パン好きの遺伝子を母から譲り受けたと思っていましたが、やっぱり父親の遺伝子も同時にもらっていたのかな。嫌いだけれど時々食べたい納豆です。
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お題:第193回「阪神淡路大震災から12年。災害について考える」
「日本沈没」とか「ノストラダムスの大予言」などがすごくブームになった頃が思春期の始まりと重なるという年代の人間です。
ちょうど、「プレートテクトニクス」という学説が一般的になってきたし、学校でも地震の原因として教わったのでした。大正12年の関東大震災から大体50年経過しているという時期で、その当時は「69年周期」などというのもまことしやかに言われたりしていたので、遠からず必ず、自分も大地震に遭うのだろうとびくびくしていたものでした。
また当時は大きな地震が多かったのです。伊豆で1978年に起きた地震(M7.0)の時は東京でも震度4で、ちょうど母が兄弟と伊豆旅行に行っていたので連絡がつくまで生きた心地がしませんでした。
学校では、9月1日にはかなり大規模な避難訓練を毎年行なっていました。豊洲にある中学校から、今の臨海副都心線の東雲駅の西側のあたりまで1時間ほどかけて徒歩で避難するというようなこともありました。
私が小学生の高学年のころから、「防災頭巾」を各家庭で作って学校にもって行くことが義務付けられました。
そういう環境の中、「地震はいつか必ず起きるもの」という不安と、「地震は身近なもの」という慣れに、私の防災観念は育てられた様に思います。
関西に来てみると、地震は稀な事もあって、震度2や3くらいの小さい地震に友達が恐れる様をおかしく感じました。
それよりもビックリしたのは台風でした。
東京に住んでいる間、台風に関する記憶は全くありませんでした。
それが、引越しして2ヶ月ほどで、停電はする、家の樋は壊れる、電柱はバタバタ倒れる、近所の家の屋根が吹き飛んで丸ごと無くなっているという有様を目にすることになりました。
「天災」というと地震しか思い浮かべなかった私ですが、紀伊半島に住んでからはやはり最も身近な天災は台風です。
大学の何回生の時だったか、秋休み(私の母校は教育実習期間が長いので、夏休み後の前期試験の後1ヶ月、秋休みがありました)中に運動場でサッカーの練習をしていた学生が落雷で死亡するという事故がありました。
雷というのは、雨が降って遠雷が聞こえていれば気をつけるものですが、雨のないときに突然鳴りだすものは避難する間もなく、惨事になりやすいものなのだと後に何かで読みました。
私の身近にあった天災というのはこのくらいです。
関東の地震は、現在では200年周期と言われているのだそうで、私が生きている間にはもしかして起こらないのかもしれません。けれども、人知の未だ及ばないところに天災の理があるということもありそうで、備えておくに越したことはありません。
その関東から西に移り住んで27年ですが、地震のない国のように思っていた関西で阪神大震災も見聞きしましたし、また東南海地震は今後23年の間に起こる確率が9割ほどだとかで、病気も怪我もせず生きていたらどうやらこちらは経験しそうです。
昨年1月思い立って、寝間に家具を置かないように模様替えして、また避難のためのリュックも用意しました。
そろそろリュックの中身をあらためて、賞味期限間近の食糧など入れ替えようと思っています。
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うまく投稿できるかな?
*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「まるる」がテスト投稿の為に書きました。
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お題:第192回「私のブログ、ここにこだわってます!」
自分が書きたいと思うことを文章に書くのは比較的簡単なことだと思うのですが、そうでないことを書くのは難しいです。
web上に日記のようなものを書き出してもう5年以上経ちますが、ずっと好き勝手なことばっかり書いてきたので、ちょっと自分に課題のようなものを課したいと思って、「お題について書く」というのを始めてみました。
また、自分では考え付かないようなお題について書けば、また違う切り口の自分を見つけられるかもしれないな、という余禄もあるように感じています。
トラックバックテーマについて書いているけれども、トラックバックはどうでもよくて、自分への宿題のようなブログ…というのが、このブログのこだわりなんだと思います。
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お題:第191回「小さい頃から捨てられない大事なもの」
何度も引越ししているので、そして、自分で家庭を持ってからはなるべく家の中に物を溜め込まないようにしていて思い切りよく物を捨てるので、小さい頃からずっと持っているという物はほとんどありません。
自分のへその緒を持っていますがこれは結婚するまでは母が持っていたものを渡されて、その後家のどこかにあったとは思いますがそれがどこだか分かりません。
自分で管理しながらずっと持っているもので今思いつくのは4つくらい。
ひとつは母が小学5年生くらいの時にクリスマスプレゼントで買ってくれたホッチキスです。上下の部分に木製の板が飾りとしてついていて、その板に苺の絵が描いてあります。
残念ながら一昨年だったかとうとう壊れて使えなくなりましたがめったに私に物を与えるということのなかった母の買ってくれた物だったので今でもパソコンデスクのすぐそばの引き出しに入れてあります。
小学校の6年生ごろから中学2年生くらいにかけてコレクションしていた、小さな、コルク栓のついたガラス瓶をまだ10個くらい持っています。
友達が誕生日プレゼントでくれたり、青山や原宿でショッピングするのが好きだった母方の叔母(このとき26歳くらい)が買ってくれたものなど。一時は50個くらいあったのですが人にあげたり壊れたりして今はたった10個です。中に入っていた草の種とか「星の砂」とかなんだかもうゴミクズのようですがなぜか捨てられません。
中学の時に、御徒町の「二木の菓子」で買ってもらった万年筆。万年筆がとても欲しくて欲しくて買ってもらったものでした。
御徒町だから父親に買ってもらったのだろうと思うのですが(我が家では、母は銀座や日本橋、東京駅の大丸に行きたがり、父親と出歩く時は上野方面が多かったのでした)、記憶が曖昧です。
確か値段は500円で、男持ちのしかし細字の黒い万年筆です。
大学に通う頃からか使わなくなって、ずっとほったらかしだったので、去年だったかカートリッジインクを買ってきて入れてみたのですが、中でインクが詰まってしまったようでもう使えません。
折りたたみのパイプ椅子。パイプ部分は真っ赤にペイントされていて、シート部分は白いビニールクロスの椅子です。これは銀座4丁目の、現在マクドナルドのある辺りのバス停の前に文房具屋さんがあって、その入り口のところで売っていたものです。
これも中学生の時に買ってもらって、以来今までずっと使っています。新しい椅子がうれしくて、家まで自分で持って運びました(といってもバス停の前のお店で買ってそのままバスに乗っただけですが)。
今はシートのクロスが割けていてパイプの鮮明な赤もくすんでしまっています。
大事に持っているものは、ぜいたくなものではなくて、自分がそれを所有した時にうれしかったものだというのが、こうして書いてみて分かってうれしい気持ちです。
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お題:第190回「今まで持った一番重たいもの」
中学校の2年の時に親が離婚して、父親が家から出て行ったので、その後母と模様替えしたのですが、重いものいっぱい持ちました。
たんすというのは大きいけれども、引き出し抜いちゃったら大して重くはなくて、これは厨房もとい女子中学生でもらくらく運べます。
重いのは机でした。合板ではない立派な机が家にありましたので(本当は父親のものだったのですが置いていったのです)これを移動させるのは難儀でした。
でも、これは母と二人で持ったので私の受け持ちは半分なのでしょうが。
当時のオーブンレンジというのはものすごく重くて、確か40kg超あったと思います。これも母と一緒に持ってレンジ台(当時は市販のオーブンレンジ台がなくて特注して作ってもらいました)に載せました。
そうそう、今日という日で思い出しましたが、冷蔵庫を一人で移動したことがあります。
12年前の今日、私は夫と実家に泊まっていて阪神大震災の揺れで飛び起きました。
奈良は震度4で、たぶん震度4でもエネルギーが最大の方の4だったのでしょうが、それでも、これまで私が経験した中では最大で且つ最も恐ろしい地震でした。
夫は慌てて車で勤務先にかけつけ、私は実家の家族たち(まだ弟夫婦も生後3ヶ月の甥もいました)とテレビに釘付けになり、運休していたJRの開通を待って自宅に戻りましたが、台所に入ってみると、冷蔵庫が10センチほど横に飛んでいました。本棚の本が崩れたり、書斎の机の上の寒蘭の鉢が棚の上から落ちてきたもので倒され下に落ちて割れていたり。
冷蔵庫は夫に見せようとそのままにしていましたが、翌日か翌々日かにひとりで元の位置に直しました。
…でもこれは、持ち上げて置き直したのではなく、どれかひとつの足を引きずって移動したので持ったことにはならないか。
私はこういう力仕事をすることが家庭で多かったので、自分は結構力持ちだと思っていて、文庫本がぎっちり入ったみかんの段ボール箱などを押入れの天袋にほいっと入れたりできたものなのですが、最近はその段ボール箱を天袋からどうも出せないようで(やってみたのですが腕の力がが自分でも衰えているのが分かり断念しました)、ああ、年取ったなぁと思ったりしています。
もう2年近く前のことになるけれども、家から2キロ離れた電気店から徒歩でパソコンのCRTモニタを運んできたのが近年の唯一の武勇伝でしょうか。
しかしこれも1週間ほど祟りました。
でも、やはり生まれてから持ったものの中で何より重いのは、甥や姪の体だったのかな、と思ったりもします。
幼児の体重なんてせいぜい20キロ前後。それでも大事があったらいけないと、抱いている時も手をつないでいる時もいつも責任をひしひし感じました。
これが親ともなれば、迷わず答えを「子ども」と言えるのでしょうね。
今の私には6キロの犬が一番重いかな?
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お題:第189回「ウィンターソング!雪が降った時に聴きたい曲は?」
さて、困った。
つくづく考えるに、私は雪があんまり好きじゃないのかもしれない。
奈良中部の平野は雪はあまり積もるほどには降ることが少なくて、もし積もるようなことになると後は凍結で大変。道路は渋滞するし事故はあちこちで起こるし、夫は1時間かけて車通勤しているので往き帰りの道中心配この上ない。
雪を見て、天の与へ給うたもの、と思うよりも、寒い、迷惑、ヤメテ、となっちゃう。
子どもの頃ならそんな風に思わなかったのかもしれないけれども。
で、今、ふっと思いついた曲は、中島美嘉の「雪の華」でした。
でも、雪のイメージが好ましいというより、メロディとか声が単に好きなような気もするけれど。
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お題:第188回「今年の手帳、初めに何書いた?」
私は手帳を持っていないのです。ずっと家にいるのでスケジュールはパソコン横に置いていあるカレンダーに書くだけで事足ります。
そのカレンダーには夫の休みの日付に○をつけてあるだけです。
で、それではつまらないので、他に手帳のように使っているものがあるので紹介します。
去年の9月からつけている献立ノートです。
2007年1月4日(木)
ば くじらの刺身。きゅうり。具沢山おみおつけ。
べ 玉子焼き。ウィンナー。れんこんのきんぴら。ブロッコリー。ミニトマト。
あ 具沢山おみおつけ。野沢菜。韓国のり。
「ば」は晩御飯、「べ」は弁当、「あ」は朝御飯の略です。
このノートは献立ノートとは言っても、ネットで見つけたレシピを書いたりもするし、他にも一日のタイムテーブルとか、気になる本の題名とかいろいろ散らし書きしているので、雑記帳というほうが正しいかも。
でも、新年はどうも気力が減退するので、今年になってからはあまりこのノートを活用できていません。
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お題:2007年初○○
今日は、今年初めて雪割草の用土を研ぎました。
研ぐ前に、日光砂を2袋、ふるいにかけました。ひとつの袋はあらかじめ小粒のみをふるったものですので3回ふるいにかけて、3種類の粒とみじんに分け、もうひとつは無選別のものなので、6種類の粒とみじんに分けました。
その内の、2番目に小さい粒と3番目に小さい粒のものにそれぞれ、同じようにふるっておいた焼成したハイドロボールとゼオライトを混合して、後は直径60センチほどあるプラスティックのざるとボールを使って水洗いします。
水が透き通るまで(5〜6回)よく洗います。
よく洗ったらざるのまま水を切って少しだけ乾かしてからベラボンというヤシ殻から作った用土を混ぜます。ふた付バケツに入れて終わり。
用土がないと思い立った時に植え替えができないので不安です。いっぱい用土があるとうれしいものです。
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お題:今年こそは!の抱負を宣言してください
自分が一番しなければならないのは、生き方を変えることだと分かっています。
人はやはり、人の間でしか生きられないものだし、人と関わりあうことで成長します。人とぶつかることで傷つきもしますが、その傷は人との関わりで回復していくものです。
そして、よりよい生き方をしようと思えば、人の生き方によい形で関わらなければなりません。自分も育ち、人が生きていく過程の中で「触媒」にもなれるような、そんな生き方をしなければなりません。
今の、閉じこもっている私の生き方では、それはかないません。
自分をもっと開いていかないといけないと分かっているのですが、自信がありません。
筋道も見出せません。
希望はあるのですが、勇気がありません。
抱負…どうしようか、というのが今の私の本当のところの到達点なのです。
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お題:2006年に一番よかった思い出は?
ものすごく幸福なこともものすごく不幸なこともない生活を私は志向しているので、とびきりな思い出というのはないのですが、もしひとつあげるとすれば、一番去年うれしかったのは、大台ケ原に行けたことです。
こんな景色を見られて本当にうれしかった。一生のうちで最もよい景色のひとつだったと思います。
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お題:第186回「年賀状はハガキ派?メール派?」
今年の分は特にやっつけ仕事でしたが、例年、結構年賀状を張り切って作ってしまう方なので、それに、なんと言っても私は昭和人間なので、やっぱりハガキです。
メール、苦手です。特に携帯メールは打つのも遅いですし、長い文が書けないし、言い尽くせない、感情が出せない。即時性も嫌です。私は、もらった言葉は、味わってから返したい。それには書き文字の方がふさわしいように思います。
今年は元日に届く年賀状が少なかったです。年賀状を書くのが億劫という人が増えているのでしょう。
年々年賀状離れが進んでいるとも言いますし、そのうち書き文字の便りは廃れてしまうのかな。昭和人間としてはさびしいな。
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お題:第185回「2007年の抱負!」
抱負。抱負って、42年の人生で実はあんまり真面目に考えたことない。
しかし、今年の私は違うぞ!ちゃんと考える。考えてやるっ!
去年は、家事はちゃんとやるようにした。そしてちゃんとやった。かなりマジメにやった。
今年も勿論、家事をちゃんとやる。去年以上にやらないと進歩躍進できないので去年よりちょっとだけできることを増やす。
細目を挙げるとキリないが今思うところは、お弁当を年間通して作ること、家の中で気になるところを自分でリフォームしたり模様替えしたりして暮らし良くすること、家の外回りもきれいにすること、年末の大掃除を11月半ばから着手すること。
それと付け足しだけれども、シャトルシェフを買って黒豆を煮たいな。
庭仕事。植物愛護の精神を貫くこと。去年は雪割草の栽培がかなり上手になったと思うんだけれども今年はもっと上手になりたい。とりあえず一度でいいから2年苗に花を咲かせられるくらい充実させたい。
それから、これが最も大きな野望だけれども、↓の記事にも書いたように働いていくばくかの収入を得たい。そして貯金したい。
みな実現できるといいなぁ。
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